僕が美容師になったわけ。【望郷編】
2020/04/24
【望郷】…ふるさとを懐かしんで、思いをはせること。「―の念にかられる」
僕の親父は理容師だ。
祖父も理容師。ちなみに祖母も。
曽祖父も理容師だったが、仕事をしてる姿を見たことは無い。
僕が生まれたのは青森県の六戸町という人口一万人ほどの小さな町で、奥入瀬川が流れ、あるのは田んぼと畑、中心部には小さな商店街。その商店街の中に、「ヘアサロン ワタナベ」がある。
昔ながらの町の理容室で、父の友人や、お爺ちゃんの昔からのお客さん、また、僕の同級生や後輩がお店に来ることも少なくなかった。
僕の原体験は、間違いなくそこ。ヘアサロン ワタナベにある。
世間話をしながらお客さんの髪を切っている親父やジイちゃんの姿が楽しそうであったし、自然にそういう仕事に就こうかと考えていたのだろう。現に何かの折に将来の夢を、「日本一の床屋」と書いた覚えがある。(何を以って日本一なのかは未だわからないが)
今となっては2人で飲んだり、色々話せるが、当時は強面でシャガレ声、高校の友人曰く「ヤクザ」な親父が畏怖の対象でしかなかったので、髪の毛を切ってもらうのは洒落っ気が出だした中学から。逆にジイちゃんは仏の如く柔和で、カリアゲが非常に上手く、スムーズだったので、小学生まではよくジイちゃんに髪の毛を切ってもらっていたのを覚えている。
ちなみに僕が長渕剛を好きなのは、親父の影響。
小学校低学年の頃から、
「賽銭箱に、百円玉投げたら、釣り銭出てくる人生が良いと〜」
「なりてえ、なりてえ、なりてえ、チンピラになりてえ〜」
などと、ろくなもんじゃねえ人生観を刷り込まれたのはここだけの話だ。
実際は釣り銭なんて出てこないし、チンピラにもなってないけど、マジ長渕のアニキ、リスペクト。もちろん、親父も。
思春期というものはあっと言う間に過ぎ、部活とバンドに熱を上げた、しゃぼん玉のような青春時代も終わりを告げるころ、「床屋になるぞ床屋になるぞ、俺は絶対に床屋になるぞ」と意気込んだ僕に親父は、
「美容師の方が良いぞ。」
僕「……え?」
かくして、僕は仙台理容美容専門学校美容科の門をたたくのであった。
〜邂逅編に続く〜
追記
書き出すとあまりに書ききれないのでいっそのこと省きましたが、六小、六中の同級生、沢高のクラスメート、ホッケー部の連中、バンドのメンバー、青森市内で出会ったバンド仲間たちの存在が、今美容師を続けていることの、さらには生きる上で本当に大切なものになっています。勝手ながら、感謝をここで伝えたいです。ありがとう。
渡辺祐磨