僕が美容師になったわけ。【邂逅編】
2020/04/24
【邂逅】…思いがけなく出会うこと。巡り会い。
仙台 is 地元。
たった2年しか過ごしていないのにもかかわらず、僕の仙台に対する思いはそういったものになっていて、仙台駅の改札を抜け、ペデストリアンデッキに出ると「あぁ、久しぶりに帰ってきたな。」と感傷に浸らざるを得ない。
それはおそらく、子供とも大人とも言えない18歳から20歳という2年間(厳密に言えば、心の底からガキだったが)を過ごしたからとも言えるし、同じように東北各地から出てきて、同じ志を持つ友人達とご近所物語さながら身を寄せ合って過ごしたからとも言える。
専門学校の2年間で1番打ち込んだことといえば、ワインディング。つまりパーマを巻くことで、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日半ば狂ったようにマネキンにロッドを巻き続けた。
時にはズムズムとベース音を響かせるトランスに乗せて、時には「take on me/A-HA」に乗せて、毎日毎日巻きまくった。
BGMは案外大切で、take on meを含む80'sサウンドは僕を含む仲間内にはフィットせず、不評だった。ポップ過ぎたから。
お陰で、大きな大会に出場したりということもあったが、今になって思えば「技術」というものに対して考えはじめたのはこの時期だ。
ミリ単位で調整しなければ到底納得のいく仕上がりにならず、試行錯誤を繰り返していた事が、今のカットにおける細かなディテールやバランスにこだわりを持つようなことに繋がっている気もするし、加えて「より良く、より上手く」という技術に対する意識を持てるようになった源流だと思える。
まぁ、たぶん、「技術」、それ自体が好きなのかもしれない。職人というか、そういうモノが。
ただ、ナーバスになりすぎて、近しい友人に迷惑をかけ、あらぬ言葉を投げつけてしまった事を今でも覚えているし、後悔している。それ以外でも、当時色々迷惑をかけて、本当ごめん。
そんな友人たちとは今になっても依然として仲が良く、やれBBQだやれボウリングだと皆忙しさの合間を縫って遊ぶし、仕事の話となれば皆アツい。
卒業から10年以上経った今では美容以外の職に就いた友人も多いが、10年以上経った今でも会えば当時の事を鮮明に思い出す。それぞれに活躍していることが何より嬉しい、それぞれにそこそこ大人になっている。
僕はM字ハゲになった。
良い人間と毎日過ごせば自然と自分も高まるもので、僕が仙理美に入って心から良かったと一番に思えるのは、そういった同級生や後輩と出会えたということである。
青森県上北郡六戸町、人口1万人にも満たない小さな町の床屋で育った僕が、高まりに高まり、さらに高まって思ったこと。
それは
「そうだ、原宿で働こう。」
ゆうま少年は、大志を抱いてしまった。〜闇黒編に続く〜
渡辺祐磨